−−−まるで映画のワンシーン。






仕事が終わり、家路に着こうとすると、ポツポツと雨が降り出す。
わたしは大きくため息を吐いて鞄の中から折りたたみの傘を取り出した。

「今日も見事な雨だねえ、気をつけて帰りなよ」

玄関ロビーから出てきた同僚もため息を吐き、持っていた傘を開いてからこちらに手を振って歩きだす。今日は久しぶりに彼氏とデートなんだと喜んでいたのを思い出して少しかわいそうに思った。
傘を開いて雨の中を歩く。
今月に入ってからずっと降り続いている雨は飽きることなく毎日地面を濡らしている。厚い雲に覆われた空は真っ暗で、雷が鳴ったりすることもしばしば。
貴重な休みにショッピングに行きたいと思っても、この雨の中ではとても外出したいとは思えなくて、こうした仕事帰りにスーパーに寄って日常品の買い物をしている。
今日は晩御飯は何にしようか、歩くたびにじわじわと雨が足元を濡らしていく。

「あーあ、こうも毎日雨が降ってちゃ、パンプスが傷んじゃう」

そうでなくとも歩くたびに水と泥が跳ねて、パンプスを汚すのだ。帰った後に汚れを落とす作業は面倒くさいし、かといって、そのままにもできないので結局は綺麗にするのだけれど。早く止んでほしいものだ。次にショッピングに行くときは新しい靴を買おう。
そう決めてから、つま先を見つめて歩いていたわたしはとてつもない違和感に襲われる。


−−−雨が止んだ。


先ほどまでさあさあと降っていた雨が、止んでいる。この時点で血の気が引いた。
しっとりと湿気を含んだ空気も、匂いも何もかも違っていて、さらりとしてる。これはなに?
暗くくすんでいた視界は明るくて、傘を突き刺すように太陽がさんさんと差している。
体が震えて、耳鳴りがした。危ない。これは。違う・・・。
傘から滑り落ちたしずくがぱたぱたと地面に吸い込まれて消える。同時に吐き気がして腰が抜けた。
何が起きたの。体は言うことを聞かなくて、傘を握りしめたまま。
辺りがざわざわ五月蝿い。喧騒が大きくなって、「ぅえ・・・!」ついには嘔吐した。

「おい、アンタ!店の前で何やってんだ!汚ェだろ!」

バシャっと水を掛けられたが、傘を持っていたために水はあまり掛からなかった。
だが、吐物を流す水がスカートを濡らして汚していった。嘔吐した時の、生理的な涙からじわじわと視界が滲んでいく。立ちあがらなきゃ、そう思うのに、体が動かない。かろうじて傘を持ちあげて怒声を浴びせるひとに目を向けると、たぶん、先ほどまで水の入っていたバケツを振り上げていた。

「商売の邪魔なんだよ!失せろ!」

その瞬間にぶつけられる、そう思ってぎゅっと目を閉じたが、衝撃も音もしなかった。 いや、じゃり、と土を踏みしめた音がした。

「な、なんだ・・・!?」
「おい、もういいだろ」

ガコン、とバケツの落ちる音がして、そろそろと目を開けると、わたしの目の前に草履を履いた、ほっそりした足が見えた。そろそろと視線を上げると、赤い服と青いハーフパンツが見える。後ろ姿からも分かる。少年が自分を庇ってくれたのがわかった。

「アンタの連れか?こっちは店の前で座り込まれた上に吐かれて迷惑してんだ!早く連れてってくれ!」
「わかったからそう怒鳴んなよなー。お前、立てるか?」

少年はこちらを振り返って顔を覗き込んでくる。優しい声に、ぽろぽろと涙が出て返事は嗚咽に変わってしまった。
少年は「なんだ、どっか痛ェのか!?」なんて言って慌てふためいて困ってる。早く、何か言わなきゃ。そう思うのに出てくるのは嗚咽ばかりで。

「医者に見せに行くぞ!」
「・・・・・・・・!」

ぱさりと傘が地面に転がったかと思うと、泣きじゃくるわたしをいとも簡単に抱きかかえて歩きだした。

「安心しろ!うちの船医はいい医者だからな!ちょっと我慢しろよ?」

にししっ!きらきら輝く笑顔で言われては大人しく頷くしかない。ひっく、と喉を震わせると、大丈夫だからというように背中をぽんぽんと叩かれた。少年のかぶっている麦藁帽子が肌に触れてちくちくする。いい年して、多分、年下の男の子に慰められてしまった。羞恥に少しだけ顔が赤くなる。と、

「おい!!見つけた!麦藁だー!!麦藁がいるぞ!!!!」
「うお!?」

大きな声がしたかと思うと後ろの方から、わたしから見ると前からなのだが、制服を着た、何人もの男のひとが追いかけてきている。男の子が振り返って、ぎょ、と目を見開いた。

「やべえ!海軍に見つかっちまった!」
「え・・?」
「ちょっと揺れるけど、悪い、走るぞ!」
「わ、!」
男の子は駆け足になって、ついには本気で走りだす。わたしは振り落とされないようにぎゅっと抱き付いた。かいぐん?かいぐんに見つかったってなんだ?
男の子は明らかに逃げている。制服を着た人たちは大勢いて、男の子に追い付こうと必死だ。

「止まらないと撃つぞ!!」
「いや、待て!人質だ、人質を抱えてるぞ!!!」

撃つって?人質?男のひとたちがこちらに向けているものを良く見ると、今度はわたしが目を見開く番だった。あれ、もしかして・・・銃!?
見間違いかと思ったが、やはり、ドラマや映画などで見るものと同じだった。
ぽっかりと大きな口を開けてると、がくん、と走っている衝撃で、舌は噛まずにすんだが、歯がガチンと鳴った。いたい!

「しっつけーな、あいつら!」
「ルフィーーー!!!船出すわよ!!!」

気がつけば、街はぐんぐん小さくなって、港の方まで出てきたらしい。
女の子の大きな声が聞こえたあと、男の子は走りながら腕を大きく後ろに振りかぶった。その腕が、びよーんと、まるで輪ゴムのごとく、伸びた。

「ひ!?」

叫びは声に鳴らずに押しつぶされる。

「しっかり捕まってろよー!飛ぶぞ!」

一瞬だった。ぶわっと体が宙を舞って、文字通り本当に飛んだ。あまりの早さに声すら出ず、ひたすらに男の子にしがみ付く。なんだこれ、なんだこれえええええええ!!!!
スピードが落ちたかと思うと、次は真っ逆さまに落ちていく。エレベーターなんかで感じる浮遊感なんか比でもないくらいの気持ち悪さだ。なにせ本当に落ちているのだから。

「落ちる・・・!」
「ヘーキだ!・・・ゴムゴムの・・・」

男の子はいっぱいに息を吸い込んで、でもその間もわたしたちは落ちていて、地面が見えてきたけど、受け身すら取れない。目を白黒させてると、地面に落下しそうになった直前、

「風船!!!」

もうだめかと思ったが、間抜けにも、ぽよん、と跳ねた。もう一度、ぽよん、と跳ねてからぷふーと、空気の抜ける音がした。

「・・・死ぬかと思った・・・!」
「ヘーキだって言ったろ?ししししっ!」

笑い声を聞いて心底力が抜けた。ぐったりと彼の胸元で突っ伏していると、上の方から女の子のぷりぷりした声が聞こえてきて、体を起こした。

「大体ねえ、ゾロ!あんたがバカみたいに目立ってるから海軍に見つかるのよ!今回ばかりはルフィのこと責められないわよ!」
「るせェ!仕方ねーだろ!!」
「ルフィもルフィよ!あんた・・・!」

女の子と視線がぶつかったと思うと、女の子は目を見開いて、わたしを見た。
わたしも、女の子の姿に思わずびっくりする。だって、とっても綺麗で、とってもスタイルがいい。

「あん、あんた、あんた・・・!」
「どうした、ナミ?壊れたか?」
「違うわよ!!!!あんたその子どうしたのよ!!!!!!!」

手すりから身を乗り出してわたしを見下ろす女の子はわなわなと震えている。 他にもひとが居たのか、ぞろぞろと集まってきて、わたしは少し身が竦んだ。 麦藁帽子の男の子は、わたしを一遍してから、言った。

「ああ、街から連れてきた。チョッパーに見てもらおうと思って」

その言葉に女の子は膝を付いたかと思うと、しくしく涙を流してしまった。

「あんた・・・それ・・・人攫いじゃないの・・・」

ししししっ!と暢気に笑っていた男の子は、次の瞬間には青ざめ、うおー!!!と絶叫した。









人攫いってなんだ