「あの・・・」
未だ叫び散らしている彼らだが、わたしの声を聞いてピタッと動きを止める。
「人攫いなんてものじゃ、ないんです」
視線を彷徨わせて、風にさらりとたなびく彼女の毛先を見つめて、わたしはおずおずと言った。
「え、と、なんていうか、その・・・わたし、気分が悪くて、彼に助けてもらって」
「助けてもらった?」
わたしがちいさく頷くと、麦わら帽子の男の子は思い出したかの様に手をぽんっと叩いてわたしに向き直る。
「そうだ!お前、体は大丈夫か?」
「ん、大丈夫。でも・・・」
空を仰ぐと、雲ひとつない空が、太陽が身に降り注ぐ。頭がおかしくなりそうだった。何故、自分がここに居るのか、帰り道はどこへ行ったのか。夢を見ているみたいに足もとが不安定で、叫びたい気持ちも押し込んで。
「”ココ”がどこだか・・・何なのかわからない」
ぽつりと漏らした声は、きちんと女の子にも届いていたみたいで
「どういうこと?」
訝しげにこちらを見る女の子の目は、意味が分からないと、そう言われている気がした。周りの人も、おんなじ目。
「わたし、仕事が終わって家に帰る途中だった。いつもの帰り道、今日も雨が降っていて、わ、わたしのパンプスは汚れて、新しいのを買わなきゃ、って、思って、気付いたらあそこに居て‥‥雨が止んで、夜が朝に変わって、喧騒が聞こえて、気持ち悪くなって、うずくまったら怒鳴られる、し、おかしな格好した人たちは追いかけてくるし、こんなのおかしい・・・!」
思い出すと涙がぶわっと溜まって目の表面に膜を張る。俯いて、掻き毟るように頭を抱く。床を見つめて、ぱたぱた、と涙がこぼれて床に雫が落ちた。
「頭がおかしくなりそう・・・!」
自分でも笑えるくらい、声が上擦ってしまう。気持ちはもうぐちゃぐちゃで、
「ちょ、ちょっと待って、あなた、あの街の人じゃ・・・?」
「違う!だって・・・だって知らないわ!わたしの街は内陸にあって、海なんて・・無いもの!」
泣き崩れるわたしに、とうとう困り果てたらしい女の子は、おろおろとわたしの周りを行き来していて、持て余している。そんな中、麦わら帽子の男の子は、わたしの目の前まで来たかと思うと、しゃがみ込んでわたしの肩を掴み、顔を覗き込んできた。
「お前!」
麦わら帽子の男の子は、息を大きく吸い込んで、にっと笑った。
「不思議迷子なのか!」
「・・・?」
「それだったら、帰れるようになるまでおれたちの仲間になれよ!」
「仲間・・・?」
「そうさ!海賊は楽しいぞ!歌うんだ!そんでおれは海賊王になる!」
「か、海賊!?」
目を見開いて、心の中で復唱した。かいぞく、かいぞく。
「海賊って、映画や本とかに出てくるあの海賊・・?」
「映画ってなんだ?」
「え・・?」
映画ってなんだって聞かれても、説明に困ってしまう。
「映画なんて普通にあるじゃない」
「聞いたこともねーぞ。ていうかお前おかしーよ。お前の言い方じゃ、まるで海賊なんて存在してねーみたいだ」
「だって、海賊でしょう?そんなのもうこの日本に、ううん、世界中探したって在るかどうかわからないじゃない」
「海賊はいっぱいいるぞ!お前何言ってんだ?」
ますます混乱してしまう。海賊なんて単語自体、日常とはかけ離れたものなのに。海賊がいっぱいいるって?涙も引っ込んで、呆けていると、女の子もわたしのところへ来て、座り込んだ。
「海賊を知らないって、あなた、どこから来たの? それに、ニホンって?国の名前かしら?」
「日本は日本じゃない。わたしたちの住んでる国よ。あなたは日本生まれじゃないの?そういえば顔立ちが少し外国の血も混ざってそうだけど、スタイルもいいし。ハーフかしら?フランスとか、イギリスとか」
「フランス?イギリス?聞いたこともないけれど、それはグランドラインの島の名前?」
「ええ?グランドラインってなあに?」
そこまで言って、お互いに口を閉ざす。おかしい、根本的に。お互い言葉は通じているのに、なにかが違う。冗談にしても初対面の人間をここまでからかう必要もあるのか?それに、女の子の顔は真剣そのもので、冗談なんて言ってるようにも聞こえなかった。
「なんだか、まるで、夢みたいな、ううん、別の世界にでも来たみたい・・・」
ぽつり呟いた声は波の音にかき消されてしまいそうなほど小さく、震えていた。
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