世界から放り出されたものの行き先は、非常なものだ
。今まで暖かな世界で微睡んでいたわたしにとって、
切り離されるということは、死を意味したもののよう
に思えた。
繋がらない言葉は、異国というよりは、異世界、そう
いう言葉が似合うと思った。実際異世界なんだろう。
見たことの無い景色、そして生き物が水路を走る様を
見た時、わたしの中にすとんと腰を下ろすものがあっ
た。
周りには初めて見るものが多くて、子供と言うには大
きく、大人と分類するにはまだ小さい存在だったわた
しには興味と恐怖が半分づつ分けて根付く。
人々が交わす言葉はどう聞いても理解が出来なく、英
語とも違う言葉が響きあう。実際にこの街の人に話し
かけたこともあったが、わたしの言葉にひたすら困っ
た顔をするばかりで、申し訳なくて頭を下げてその場
を通り過ぎた。
夜が来てもどうする術も持たなかったわたしは、民家
の路地に置いてある塵箱の陰に隠れて膝を抱えた。少
し冷えるが、コートを着込んだわたしに凌げない寒さ
では無い。それよりも街中を歩き回ったので足が痛か
った。普段運動するわけでもないわたしの脚は疲れき
っていて浮腫んでいた。筋肉痛にでもなりそうだ。靴
を脱いで隣に並べて置いた。不思議とお腹は減らなか
ったが、疲労が強い。目を閉じるとすぐに意識は闇へ
と堕ちていく。
目が覚めると同時に短い悲鳴を聞いて一気に覚醒した
。顔を上げるとエプロンを身に纏った中年の女性が塵
袋を抱えていた。何も考えず、ほとんど反射的に走っ
て、息が切れた頃に靴を置いてきてしまったのを思い
出してわたしは馬鹿だと思った。滅茶苦茶に走り回っ
たのでもう元来た道は思い出せなかった。ワンピース
から除く足は厚いタイツに覆われていたけれど、時間
の問題だ。その内破けてしまうだろうから。
もう1週間が経ったんだと思う。生きる為に必要な水
は公園で手に入ったが、食料はなにも、なにも手に入
らない。金を持たないわたしには物を買うことも出来
ず、コートに入っていた5つの飴玉で空腹を満たすこ
としか出来なかった。それはすでに無くなってしまっ
たけれど。街中にはレストラン街や、出店、露天など
、食べるに困ることも無い程豊かな街並みだったが、
それも叶わない。飽きることなく街を練り歩くわたし
に視線を感じることはあっても、わたしはすでに誰と
も視線を合わさないようにただ景色だけを眺めて足を
動かす。予想通り、厚いタイツも破けてしまっていて
、足の指が覗いていた。石を踏みつけて切り傷だらけ
になった足が。
歩くたびに足は傷んだし、人からの視線も多く感じる
が、この喧騒から離れることが出来なかった。一人に
なるのは怖かった。1週間で分かったことだが、この
街はとても治安がいいらしく、人々が争うようなこと
を見ることはなかった。しかし、夜は違うのだ。裏町
であろう場所は、酒場なんかが多いらしくゴロツキを
たまに見かけた。たしかこの街に来て3日目だったと
思う。そのゴロツキに追いかけられたのは。向こうの
人数も少なく、逃げ足の速さに少し自信はあったので
なんとか逃げ切れたが、もう近寄ろうとは考えなかっ
た。夜はたっぷり更け込んだ後の住宅街の裏道で一夜
を過ごし、夜明けと共にその場を離れる生活の繰り返
しだった。夜間少しの物音でもすれば意識は覚醒して
しまう。あの日のように住民に見つかることを恐れた
わたしはまた別の場所を探し歩く。
2週間も経てば、ほとんど食べ物のことしか考えられ
なくなっていた。初日のことが嘘のよう。なにをしていても空腹で、それでも
一人になれなくて街を歩く。道行く人々が立ち食いな
んかしていても、目もくれなかったが、店を見かける
とそうもいかなかった。とても美味しそうな匂いがす
るけれど、胸やけの方がひどかった。油の匂いに噎せ
込んで嘔吐もした。限界に近かったが、物盗りなんて
見っとも無い真似だけはしたくなかった。他人の日常
を壊すことが出来なかった。その日も水をがぶ飲みし
て、餓えを凌いだ。
その後はもうどれほど日数が経ったか覚えていない。
元々ふっくらしていた頬は痩せこけて、お腹なんかは
あばらが浮かび、肉という肉が削がれたような身体に
なっていた。その頃になると太陽の強い日差しなんか
にも体は耐えれなくて、夜の街を徘徊することとなっ
た。痛む頭を押さえて、水路に足を投げて座り込んだ
。全身が燃えるように熱かった。きっと、熱が出てい
るのだろう。耳の奥でざわざわと喧騒が聞こえるのは、ついに狂ってしまったからだろうか。苦しかった。
水路を覗くと、満月や星が水面に映えて綺麗だった。
今まで住んでいた処では星はこれほどまでに見えなかったので、感動すら覚えた。いつも街を見るのに必死で、空を見上げたことがなかったのだ。
月灯りはふうわりと優しく街を覆っていて、暖かかった。膝にぽつり、涙が零れた。此処に来てからの初めての涙だった。限界だった。背中を丸くさせて嗚咽を漏らしていると、後ろでカランと鈴の音を鳴らして数人の男が扉をくぐって出てきた。
驚いて立ち上がると、眩暈がして、目の前が真っ暗になる。ぐらりと身体が揺れて、崩れ落ちそうだった。
瞬きを数回すると、視界が晴れる。が、身体がかなり傾いているのがわかった。男たちが何かを叫んでいたけれど、わからない。一人の男と目が合うけれど、一瞬だった。
気がつけば水の中。わたしの体は水を掻いても沈むばかりで、体力が無いのは一目瞭然だった。水も飲み込んでいるが、感覚がわからない。水の音しか聞こえない。死ぬのかな。なのに、不思議、苦しくないわ。もう苦しくないの。
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