drop

優しい指










言葉自体は通じなくても、なんとか身ぶり手ぶりで伝えてきたが、しかしそれも限界がある。なんとか思いや言葉を伝えようと思うが、それでも伝わらないことは沢山ある。例えばわたしに関する情報を伝えようと思っていても、わたしの中の表現しきれない部分もある。まずそれを打開したのが絵であった。アイスバーグを待つ間に渡された画用紙とクレヨン。わたしはアイスバーグの居ない間に暇さえあればそれに絵を描き続け、それを彼に見せた。
彼はそれがなにか解れば、綴りと読み方を教えてくれたし、わたしも、わたしの国での言葉を彼に教えたりもした。
その時に気づいたのが、この世界での言語だった。
意外にも、それは身近にあった英語だったのだが、ただ、流暢過ぎて簡単な単語でないと自分が聞き取れないのだ。わたしは元々英語が得意な方でなかったし、学校の成績も良いとは言えない。悪いとも思わないが。だが、ここにいる以上はこれは避けて通れないのだと思う。わたしは別の処に行く術も、度胸も持っていないし、だからと言ってずるずると世話になり続けるのも申し訳ない。
少しでも言語を覚えようと、今まで教えてもらった言葉を纏めて、ちょっとした辞書を作った。それにはアイスバーグもすぐに気付き、わたしお手製の辞書と、わたしの描いた絵を持って、覚えたかどうかテストしてくれる。
幸い、時間はたっぷりあったので沢山単語は覚えられたが、いかんせんわたしが想像出来る限りの絵は描き尽くしてしまった。ある日からぱったりと絵を描くことをやめたわたしにアイスバーグは不思議そうな顔をしていたが、彼はなにも言わなかった。−−掛ける言葉が、いや、わたしに言葉を伝えられないからだろう。そう思うとわたしは悔しかった。

太陽が燦々と窓から降りそそぐ。暖かさに目が覚めたわたしを、おはよう、と迎えてくれるのはアイスバーグである。わたしもおはようのあいさつを返して、いつも通り二人で食事を摂ったあと、アイスバーグはテーブルの端っこに置いてあった紙袋をわたしへ差し出した。受け取って中身を確認すると、可愛い白いワンピースとカーディガンが入っていた。アイスバーグへ視線を向けると、彼は紙袋を指さして、着なさい、と手で指示した。
脱衣所で着替えてから、またリビングへ向かうと、次は靴を渡された。ヒールの無いエナメルパンプスで、それは着ているワンピースにとってもよく似合った。それは少々大きかったが、アイスバーグは笑顔でわたしに頷くと、手櫛でわたしの髪を撫でてから、わたしの手を握って外へ出る扉を開けた。
アイスバーグに拾われてから初めての外。それまではぶらぶらと一人でほっつき歩いていたのだが、アイスバーグといると新鮮だった。日差しが暖かくて気持ちいい。太陽の眩しさに目を細めていると、アイスバーグはくすくす笑って太陽を指さし、綴りを教えてくれた。道中で、あちこちに目をやるわたしに彼は丁寧にひとつひとつ教えてくれた。水路で泳いでいる生き物は『ブル』というらしい。珍しい目で見るわたしを引っ張って、看板を示した。

「レンタル・・・ブルショップ?」

看板にはそう書かれていた。あの生き物は借りるものなのだろうか?
門をくぐって中に入ると、アイスバーグが店主と思われる人物に話しかけていた。店主は小さな舟をガララと音を立てて引きずっている。キョロキョロと眺めていると、生簀にたくさんのブルが泳いでいることに気づいた。ふらりと生簀に近寄ると、わたしに気づいたブルが「ニー!」鳴いて近づいてくる。それも、沢山。柵越しではあるが、たくさんのブルが集まると、辺りは騒がしくなる。そこらでブルの鳴き声でいっぱいだ。



アイスバーグがわたしの肩を抱いてぐっと柵へと近寄るよと、ここぞとばかりにブルたちに顔をベロンと舐められる。

「うわ!」

驚いて後ろに飛び退くと、アイスバーグが大笑いする。ブルの涎まみれで目が開けられないので、ごしごしと袖で拭いた。可愛いけど、舐められるのはごめんだ!
ジト目でアイスバーグを見ると、眉を下げてあいまいに笑っている。くそう!せめてもの抵抗に手を振り上げると、アイスバーグが一歩下がった。そして−−ベロンと、アイスバーグも見事にブルに舐めあげられた。今度はアイスバーグが驚いたみたいで目を丸くしている。おかしくて笑っていると、彼に脇腹をくすぐられた。こしょばくて、もっと笑ってしまった。

ブルを借りて水路を走る。手綱を握るのはもちろんアイスバーグだ。水上は路地よりも不思議なものが多く、水上カフェや、出店が沢山あった。後ろからアイスバーグの袖を引いて、気になるものを指さしてまた色々教えてもらう。教えて貰っている途中、急にがくんと舟が進路を変える。向かった先からはいい香りがして、お腹がぎゅーっと鳴った。アイスバーグがお店のおばさんに指を三つ立てて、店に並んでいるものを受け取っていた。徐に差し出されたそれを受け取ると、丸い肉が紐で吊るされていた。肉からはぽたりと肉汁が落ちていて、香ばしいかおりは食欲を誘う。アイスバーグにお礼を言ってからそれに噛みつくと、口の中で更に肉汁が溢れだした口の中が肉汁でちゃぽちゃぽしている。肉の繊維もとても軟らかく、とてもおいしい。アイスバーグは残った二つのうち、一つを自分の口に入れて、もう一つはブルにあげていた。ブルも嬉しそうに鳴きながらそれを食べた。
お肉を食べ、また暫く走った後、アイスバーグはブルに止まるように声を掛けて手綱を引っ張る。止まった先は本屋だった。先にアイスバーグが舟から降りて、わたしを抱えて路地に降ろす。アイスバーグに手を引っ張られて店内に入ると、アイスバーグは迷わずに奥の一角を目指した。

そこにあったのは沢山の絵本。
アイスバーグは適当に絵本を手に取って、積み上げていく。そしてあれよあれよという間にレジまで持って行って清算していた。これはあれだろうか、もしかしたら、いや、うーん。でも、これをアイスバーグが好んで買うようには見えないし−−なぜなら、部屋にあるアイスバーグの机の上には文字ばっかりの難しい本しかないし、絵本など見たことが無いからだ−−これは、もしかしたら、わたしに、だろうか?
眉を下げながらアイスバーグの袖を引っ張ると、アイスバーグが笑ってわたしの肩を抱く。店員から本の入った袋を受け取ると、アイスバーグは袋を持ちあげて、わたしを指さす。そして肩を抱いていた手で頭を撫でられた。わたしは言葉にならなくて、気付いたらアイスバーグに抱きついていた。嬉しい。とっても、嬉しすぎて言葉にならない!
早く言葉を覚えてアイスバーグにお礼を言いたい。
わたしを拾ってくれてありがとう、わたしを看病してくれてありがとう、わたしにたくさんのものをくれてありがとう、ただ、今は言葉に出来なくて、ばかみたいにアイスバーグに抱きつくしかないのだ、そして、わたしの国の言葉でお礼を言うしかないのだ。

「アイスバーグ、ありがとう」

と。






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ヒロインは自分の事でいっぱいいっぱい過ぎてまだまだ周りが見えてません。